創立記念日特集…石鎚山(いしづちさん)は笠商から見えたのだろうか?

 at 00:28 笠商の日々 創立記念日特集…石鎚山(いしづちさん)は笠商から見えたのだろうか? はコメントを受け付けていません

5月5日は笠商の創立記念日です。明治35年(1902)笠岡町立として設立され、明治40年現在地に移転しました。ところで、昭和3年制定の代目の校歌に、「明け暮仰ぐ石鎚の」という歌詞があります。古くから信仰の山として親しまれた西日本最高峰(1,982m)の石鎚山は、笠商から見えたのだろうか?検証します。

 検証①>創立100周年記念誌に「校舎より鞆の浦の仙酔島の姿がよく見え…」という記述があります。仙酔島の西には走島(はしりじま)があります。この走島の後方に、伊予(愛媛県)の石鎚山が位置しています。残念ながら、私は一度も見たことがありません。 DSCF0156

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校舎3階から見た石鎚方面    拡大するとうっすらと仙酔島が現れる  ※写真をクリックすると拡大します

<検証②>笠商後方の加入堂山に石鎚神社があります。石鎚信仰は瀬戸内各地に広がっています。そして、石鎚山が見えるところには遙拝所があります。 

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笠商の上にある石鎚神社      遙拝所を示す案内板     地中に埋まった石鎚神社しめ柱

<検証③>笠商後方の遙拝所から見えたということは、大気が澄んでいた大正・昭和初期には見えたという結論になります。それも、たまにではなく朝夕拝むことができるくらいに。現在、福山と西条の工場群が遙拝を難しくしているように思われます。10年くらい前まで、笠商生はホームルームの時間に遙拝所までよく登ったようです。                                                                                              ※石鎚神社「しめ柱」はかって、笠商の坂を下った隅田川の橋の両脇に立っていたものと推測されます。

     新緑の中や石鎚遙拝所  伸介



“学宝その③” 清水比庵(しみず ひあん)の書「たらちね」

 at 11:01 笠商の日々 “学宝その③” 清水比庵(しみず ひあん)の書「たらちね」 はコメントを受け付けていません

笠商の会議室に掛けてある書。「誰が書いたもの?」という問いに答えられる人はいなかった。                                                  笠岡市立竹喬美術館で開かれていた清水比庵特別展を見ても気付かない人もいた。(私)                                                   富阪晃著『おかやまの文学紀行』の「今良寛は遊心の芸  清水比庵と高梁市、笠岡市」の項を読んでいて閃いた。                                        あっ!会議室の書は清水比庵だと。   (下…撮影技術の限界を感じる写真、光の処理ができませんでした)

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 清水比庵の書「たらちね」  たらちねの母がつくりし食べものを老いても今もわれは好むも

比庵の書は、歌を立派に書こうという書で、書家の書とは一線を画す。比庵は、「人間はよい顔をしておれば、それが社会への奉仕になる。よい顔をしておる人が集まると、自然平和にもなる。それから和やかにもなる。文化も発展をする。」(講演録より)と語っていた。 『毎日佳境』という生き方である。                                                                                                     ※清水比庵(笠岡市の観光百科事典より)…歌人・書家。高梁市、日光市名誉市民。明治16年高梁市生まれ。                                    笠岡へは大正12年の関東大震災のため訪れ妹の嫁ぎ先である岡本家へ仮寓。昭和19年から3年間、笠岡に疎開                          昭和22年から東京に戻るも夏の4カ月は笠岡で暮らし、笠岡高等女学校で歌の指導もする。
昭和50年10月東京で死去。享年92歳。墓は市内威徳寺にある。なお氏の歌碑が威徳寺、古城山公園にある。 

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   左 威徳寺の歌碑  写真をクリックすると拡大します

       屋根の間に城山の松少し見え涼しき月を高く上げたり  

  

 

   

 



六島を愛する松本君へのエール&渋沢栄一記念館ミニレポート&神戸の奇蹟

 at 12:38 笠商の日々 六島を愛する松本君へのエール&渋沢栄一記念館ミニレポート&神戸の奇蹟 はコメントを受け付けていません

2012年5月21日の、校長室だより『東京で見た金環日食』で私は次のように書いています。
「昨日は、渋沢栄一記念館を訪ねました。報告は岡山に帰ってから掲載します。(^_^)^^^」                                                   あれから1年、思い出したように掲載(写真のみ)するのには訳があります。                                                                         埼玉県深谷市に住む松本一希君から次のような便りが来たからです。(写真をクリックすると拡大します)                                                                             そうです、埼玉県深谷市は渋沢栄一が生まれた町なのです。

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松本君の手紙      渋沢記念館入り口         渋沢栄一像             栄一と商業教育

渋沢栄一が生まれた深谷市に住む青年と、笠岡諸島の六島で出会うというのは決して偶然ではない。そんな気がする。                               「水仙植えるカムツァー」、万難を排して参加したいと思います。                                                         六島を好きになってくれた松本君、ありがとう。

※松本君の活動の様子を見たい方は ブログ「瀬戸内ど真ん中!笠岡諸島」の2013年03月18日を見てください。http://blog.livedoor.jp/kaientai1/archives/52301324.html   ←左側をクリックすると見えますhttp://www.kasasho.okayama-c.ed.jp/wordpress/?p=12353                       ←校長室だより「六島に水仙を訪ねるの記」                                                                                                     ※渋沢栄一は深谷商業高校で士魂商才の額を揮毫(きごう)している。笠商には「好学近乎知」と揮毫された額がある。

 

◎追伸 「4.28 神戸の奇蹟」 校長室だよりinノエビアスタジアム神戸  ゴール! ゴール! ゴール!                                                           0-3の残り10分 一位神戸に、83分久木田、84分久木田、93分荒田のゴールで追いつく!! 

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3000人超の大サポーター      不覚にも涙が…      ファジサポはみんなともだち   

http://www.kasasho.okayama-c.ed.jp/wordpress/?p=10799   ←校長室だより「ファジアーノ木村社長対面の記」                      



課題研究『笠ショップ』地域研究フィールドワーク帯同記

 at 12:10 笠商の日々 課題研究『笠ショップ』地域研究フィールドワーク帯同記 はコメントを受け付けていません

3年生の課題研究『笠ショップ』講座・地域研究班5名(木村先生担当)のフィールドワークの記録です。

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〈威徳寺にて〉地域研究班5名と威徳寺の長田暁一(おさだ・ぎょういち)住職  ※長田住職は元笠商国語教諭

笠商から「くじば」に出て井笠鉄道廃線跡を通り威徳寺へ。威徳寺には、「いも代官」として知られる井戸平左衛門の墓所があり、学宝③として今後紹介予定の清水比庵(しみず ひあん)の歌碑もあります。笠商で国語を教えておられた長田住職より様々なお話をしていただきました。お寺の下から笠岡小学校までが海岸で、船で行き来したことなどびっくりすることばかりでした。

次に、笠岡市建設産業部経済観光活性課を訪問しました。(アポなしの突撃訪問)                                                                       笠岡のまちつ゜くりといえばこの人いわれる守屋基範さんに話を伺いました。                                                           経済観光活性課と守屋さんとの連携を約して(お願いして)学校に戻りました。がんばれ笠ショップ!

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 守屋基範さん            まちづくりは楽しんで!        カブトガニィ-ッ!

 



“学宝その②” 大山康晴書 「生来無一物」の書

 at 17:42 笠商の日々 “学宝その②” 大山康晴書 「生来無一物」の書 はコメントを受け付けていません

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校長室に掲げられた倉敷市出身の最強将棋棋士、大山康晴十五世名人(やすはる、1923- 1992)の書である。「しょうらいむいちぶつ」と読む。だが、辞書に「生来無一物」はない。ゆかりの倉敷市に“生来無一物”という地酒があるが、製造元に確認すると仏教由来の言葉ということで大山名人とは関係なかった。禅宗の「本来無一物」(ほんらい‐むいちもつ)からの由来だと推察する。大辞泉によると、事物はすべて本来が空(くう)であるから、執着すべきものは何一つないという意味らしい。「生来無一物」とは人間生まれながら「空」という意であろう

※“学宝その①”は渋沢栄一の書 「好学近乎知(学を好むは知に近し)」の額                                      



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