5月5日は笠商の創立記念日です。明治35年(1902)笠岡町立として設立され、明治40年現在地に移転しました。ところで、昭和3年制定の二代目の校歌に、「明け暮仰ぐ石鎚の」という歌詞があります。古くから信仰の山として親しまれた西日本最高峰(1,982m)の石鎚山は、笠商から見えたのだろうか?を検証します。
<検証①>創立100周年記念誌に「校舎より鞆の浦の仙酔島の姿がよく見え…」という記述があります。仙酔島の西には走島(はしりじま)があります。この走島の後方に、伊予(愛媛県)の石鎚山が位置しています。残念ながら、私は一度も見たことがありません。
校舎3階から見た石鎚方面 拡大するとうっすらと仙酔島が現れる ※写真をクリックすると拡大します
<検証②>笠商後方の加入堂山に石鎚神社があります。石鎚信仰は瀬戸内各地に広がっています。そして、石鎚山が見えるところには遙拝所があります。
笠商の上にある石鎚神社 遙拝所を示す案内板 地中に埋まった石鎚神社しめ柱
<検証③>笠商後方の遙拝所から見えたということは、大気が澄んでいた大正・昭和初期には見えたという結論になります。それも、たまにではなく朝夕拝むことができるくらいに。現在、福山と西条の工場群が遙拝を難しくしているように思われます。10年くらい前まで、笠商生はホームルームの時間に遙拝所までよく登ったようです。 ※石鎚神社「しめ柱」はかって、笠商の坂を下った隅田川の橋の両脇に立っていたものと推測されます。
新緑の中や石鎚遙拝所 伸介
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