「松あをく 海うつくしき 笠岡の このまなびやに なにをまなぶぞや」…“学宝その④” 発掘!清水比庵の書
at 17:44 笠商の日々 「松あをく 海うつくしき 笠岡の このまなびやに なにをまなぶぞや」…“学宝その④” 発掘!清水比庵の書 はコメントを受け付けていません1961年(昭和36年)の卒業アルバムに掲載された書道部の記念写真の背後に掲げられた額を見て
直感的に清水比庵(しみず ひあん)の書だと確信した。でもどこにあるのだろう…?
茶道部、華道部に狙いを付けて尋ねてみると、「あったような気がします…」
そして、発見。でもそれからが大変でした。読めないのです。万葉仮名が。
威徳寺の長田先生にお借りした「比庵いろは帖」とアマゾンで購入した「まどかなる清水比庵」を参考に解読にチャレンジしました。
それでも読めないので、最後に清水比庵の書を数多く扱っておられる、豊池美術店の豊池勇さんのお力をお借りしました。
そして、読めました。以下のとおりです。
『松あをく 海うつくし記 笠岡の こ乃まなびや爾 那爾越満なぶ楚耶』 『松あおく 海うつくしき 笠岡の このまなびやに なにをまなぶぞや』 ※クリックすると写真が大きくなります
清水比庵72歳。昭和29年の書のようです。昭和28年にそれまで一緒だった笠岡高校が分離独立しているので、笠商のために書かれたものだと思いますが、微妙なところかもしれません。いずれにしても、本校のために書かれた書であることは間違いないと思います。
まさに、学宝です。
※清水比庵(笠岡市の観光百科事典より)…歌人・書家。高梁市、日光市名誉市民。明治16年高梁市生まれ。 笠岡へは大正12年の関東大震災のため訪れ妹の嫁ぎ先である岡本家へ仮寓。昭和19年から3年間、笠岡に疎開。 昭和22年から東京に戻るも夏の4カ月は笠岡で暮らし、笠岡高等女学校で歌の指導もする。
昭和50年10月東京で死去。享年92歳。墓は市内威徳寺にある。なお氏の歌碑が威徳寺、古城山公園にある。
◇お願い 万葉仮名に自信がありません。何かありましたら、学校のメールアドレスにアドバイス等をお願いいたします。 学校長 伊東伸介
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