“学宝その③” 清水比庵(しみず ひあん)の書「たらちね」

笠商の日々 Add comments

笠商の会議室に掛けてある書。「誰が書いたもの?」という問いに答えられる人はいなかった。                                                  笠岡市立竹喬美術館で開かれていた清水比庵特別展を見ても気付かない人もいた。(私)                                                   富阪晃著『おかやまの文学紀行』の「今良寛は遊心の芸  清水比庵と高梁市、笠岡市」の項を読んでいて閃いた。                                        あっ!会議室の書は清水比庵だと。   (下…撮影技術の限界を感じる写真、光の処理ができませんでした)

DSCF0097

 清水比庵の書「たらちね」  たらちねの母がつくりし食べものを老いても今もわれは好むも

比庵の書は、歌を立派に書こうという書で、書家の書とは一線を画す。比庵は、「人間はよい顔をしておれば、それが社会への奉仕になる。よい顔をしておる人が集まると、自然平和にもなる。それから和やかにもなる。文化も発展をする。」(講演録より)と語っていた。 『毎日佳境』という生き方である。                                                                                                     ※清水比庵(笠岡市の観光百科事典より)…歌人・書家。高梁市、日光市名誉市民。明治16年高梁市生まれ。                                    笠岡へは大正12年の関東大震災のため訪れ妹の嫁ぎ先である岡本家へ仮寓。昭和19年から3年間、笠岡に疎開                          昭和22年から東京に戻るも夏の4カ月は笠岡で暮らし、笠岡高等女学校で歌の指導もする。
昭和50年10月東京で死去。享年92歳。墓は市内威徳寺にある。なお氏の歌碑が威徳寺、古城山公園にある。 

DSCF0104

   左 威徳寺の歌碑  写真をクリックすると拡大します

       屋根の間に城山の松少し見え涼しき月を高く上げたり  

  

 

   

 



Comments are closed.

WP Theme & Icons by N.Design Studio
Entries RSS Comments RSS ログイン
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。