4月 26
3年生の課題研究『笠ショップ』講座・地域研究班5名(木村先生担当)のフィールドワークの記録です。

〈威徳寺にて〉地域研究班5名と威徳寺の長田暁一(おさだ・ぎょういち)住職 ※長田住職は元笠商国語教諭
笠商から「くじば」に出て井笠鉄道廃線跡を通り威徳寺へ。威徳寺には、「いも代官」として知られる井戸平左衛門の墓所があり、学宝③として今後紹介予定の清水比庵(しみず ひあん)の歌碑もあります。笠商で国語を教えておられた長田住職より様々なお話をしていただきました。お寺の下から笠岡小学校までが海岸で、船で行き来したことなどびっくりすることばかりでした。
次に、笠岡市建設産業部経済観光活性課を訪問しました。(アポなしの突撃訪問) 笠岡のまちつ゜くりといえばこの人いわれる守屋基範さんに話を伺いました。 経済観光活性課と守屋さんとの連携を約して(お願いして)学校に戻りました。がんばれ笠ショップ!



守屋基範さん まちづくりは楽しんで! カブトガニィ-ッ!
4月 23

校長室に掲げられた倉敷市出身の最強将棋棋士、大山康晴十五世名人(やすはる、1923- 1992)の書である。「しょうらいむいちぶつ」と読む。だが、辞書に「生来無一物」はない。ゆかりの倉敷市に“生来無一物”という地酒があるが、製造元に確認すると仏教由来の言葉ということで大山名人とは関係なかった。禅宗の「本来無一物」(ほんらい‐むいちもつ)からの由来だと推察する。大辞泉によると、事物はすべて本来が空(くう)であるから、執着すべきものは何一つないという意味らしい。「生来無一物」とは人間生まれながら「空」という意であろう。
※“学宝その①”は渋沢栄一の書 「好学近乎知(学を好むは知に近し)」の額
4月 17
私が幼い時分、私たちの村は中国第一の桃の村と称された。陽春四月が来ると、村は桃の花で埋まった。 (木山捷平 詩集「野」の後書きより) ※木山捷平(しょうへい)…明治37年、笠岡市新山生まれの私小説家、詩人。
笠岡は“桃の里”である。その証拠に、笠商野球場入り口から北の笠岡市今立に「ももの里」と命名された病院がある。近くの広浜には岡山県桃栽培発祥の地の碑もある。これは、岡山県で傾斜地を利用した大規模果樹経営の最初の成功者といわれる渡辺淳一郎氏を顕彰したものである。木山捷平も書いているように、明治の一時期、笠岡は桃の大産地であった。その名残が、笠岡のあちこちに残っている(ドライブすると判る)。 笠商野球場入り口付近の桃の花は見事である。邪気を祓う力を持つという桃の木が仙人の如く見える。
満塁の走者一掃ももの花 伸介
4月 16

東日本大震災と原発事故により福島県から笠岡市に避難し本校に通学していた斉藤那音くんが、この4月から郡山商業高校(3年生)として郡山市に戻ることになり、本校が昨年度実施した文化祭の収益金を斉藤君に託しました。3月29日、郡山市役所で斉藤君と斉藤君のお母さんから義援金が郡山市の原市長に手渡され、その様子が地元の新聞に掲載されました。本校へは原市長様より丁寧なお礼状が届きました。義援金が今後の復興に少しでも役立つことと、斉藤君たちが学業に専念できることを心よりお祈りいたします。

4月 15

4月13日午後7時から笠岡市の中央公民館で南三陸町復興支援隊活動報告会が開催されました。笠商からは南三陸応援ボランティアバスで現地に向かった生徒7名と教員2名が参加しました。熱心な聴衆を前に、「命の大切さを伝えたい」、「東日本大震災の劇を文化祭でやりたい」など、一人ひとりがしっかりと感想と意見を述べました。笠商は継続してこの交流を続けていきたいと思います。
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