笠商の四季…“桃”についての考察(野球場付近の桃)

笠商の日々 Add comments

私が幼い時分、私たちの村は中国第一の桃の村と称された。陽春四月が来ると、村は桃の花で埋まった。                   (木山捷平 詩集「野」の後書きより) ※木山捷平(しょうへい)…明治37年、笠岡市新山生まれの私小説家、詩人。 

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笠岡は“桃の里”である。その証拠に、笠商野球場入り口から北の笠岡市今立に「ももの里」と命名された病院がある。近くの広浜には岡山県桃栽培発祥の地の碑もある。これは、岡山県で傾斜地を利用した大規模果樹経営の最初の成功者といわれる渡辺淳一郎氏を顕彰したものである。木山捷平も書いているように、明治の一時期、笠岡は桃の大産地であった。その名残が、笠岡のあちこちに残っている(ドライブすると判る)。                                                                                    笠商野球場入り口付近桃の花は見事である。邪気を祓う力を持つという桃の木が仙人の如く見える 

 満塁の走者一掃ももの花  伸介              



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