6月 05
校長室の私の目の前に掲げられています。かっては、講堂に飾られていました。画の右端に「丙寅(ひのえとら)秋日」と記してあるところから、大正15年の作と思われます。昭和3年(1928)に講堂の落成式が行われ、「渋沢栄一と津田白印の揮毫による扁額でこれを飾る」という記述が笠商百周年記念誌に見られることから、この当時の作と思います。
笠岡市観光百科辞典の解説にあるように、白印先生は現在の岡山龍谷高校の礎を築かれた人です。宗教家として、身寄りのない子どもを助け、その後、教育事業を展開されました。その資金を集める助けとなったのが、書画のようです。津山高校の応接室にも本校とほぼ同じ図柄の絵が掛かっていました。生活に苦しむ東北の身寄りのない子どもを多数引き受けられたとの記録もあります。笠岡の誇る教育者です。

◇津田白印(つだはくいん)…笠岡市観光百科辞典より
1862年、笠岡に生まれる。仏学、漢学を学び南画を究める。明治33年孤児、窮児の救済施設甘露育児院を開設。大正12年、淳和女学校を設立。得意の筆をふるって画を書き収入のすべてを経営に充てた。昭和21年2月死去。享年85歳。古城山公園に顕彰碑がある。
5月 31

1961年(昭和36年)の卒業アルバムに掲載された書道部の記念写真の背後に掲げられた額を見て
直感的に清水比庵(しみず ひあん)の書だと確信した。でもどこにあるのだろう…?
茶道部、華道部に狙いを付けて尋ねてみると、「あったような気がします…」
そして、発見。でもそれからが大変でした。読めないのです。万葉仮名が。
威徳寺の長田先生にお借りした「比庵いろは帖」とアマゾンで購入した「まどかなる清水比庵」を参考に解読にチャレンジしました。
それでも読めないので、最後に清水比庵の書を数多く扱っておられる、豊池美術店の豊池勇さんのお力をお借りしました。
そして、読めました。以下のとおりです。
『松あをく 海うつくし記 笠岡の こ乃まなびや爾 那爾越満なぶ楚耶』 『松あおく 海うつくしき 笠岡の このまなびやに なにをまなぶぞや』 ※クリックすると写真が大きくなります

清水比庵72歳。昭和29年の書のようです。昭和28年にそれまで一緒だった笠岡高校が分離独立しているので、笠商のために書かれたものだと思いますが、微妙なところかもしれません。いずれにしても、本校のために書かれた書であることは間違いないと思います。
まさに、学宝です。
※清水比庵(笠岡市の観光百科事典より)…歌人・書家。高梁市、日光市名誉市民。明治16年高梁市生まれ。 笠岡へは大正12年の関東大震災のため訪れ妹の嫁ぎ先である岡本家へ仮寓。昭和19年から3年間、笠岡に疎開。 昭和22年から東京に戻るも夏の4カ月は笠岡で暮らし、笠岡高等女学校で歌の指導もする。
昭和50年10月東京で死去。享年92歳。墓は市内威徳寺にある。なお氏の歌碑が威徳寺、古城山公園にある。
◇お願い 万葉仮名に自信がありません。何かありましたら、学校のメールアドレスにアドバイス等をお願いいたします。 学校長 伊東伸介
5月 30
今月から生徒保健委員が毎月保健だよりを発行します。
5月号は風邪予防・歯科・熱中症についてです。
暑くなってきましたが、自分で体調管理をして、熱中症予防をしてください。
これから検定や部活等で忙しくなってきます。
まだ治療に行けていない人は、早く治療へ行き、本番に力が発揮できるようにしておいてください。
詳しくは、保健だよりをお読みください。
保健だより5月号
5月 29

課題研究「笠SHOP」のメンバーで
販売実習を行います!
販売するもの
カブトガニパン ¥100
でぇれぇパン ¥120
カブトガニストラップ ¥500
笠商110周年記念マフラータオル ¥800
笠商ネクタイピン ¥1,000
日時:5月30日(木) 昼休み
場所:第5SR教室前
笠商ならではのパンやグッズを販売します!
笠商の生徒皆さん、先生方、ぜひお越しください!
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