“学宝その⑤” 津田白印 画 「松」

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校長室の私の目の前に掲げられています。かっては、講堂に飾られていました。画の右端に「丙寅(ひのえとら)秋日」と記してあるところから、大正15年の作と思われます。昭和3年(1928)に講堂の落成式が行われ、「渋沢栄一と津田白印の揮毫による扁額でこれを飾る」という記述が笠商百周年記念誌に見られることから、この当時の作と思います。

笠岡市観光百科辞典の解説にあるように、白印先生は現在の岡山龍谷高校の礎を築かれた人です。宗教家として、身寄りのない子どもを助け、その後、教育事業を展開されました。その資金を集める助けとなったのが、書画のようです。津山高校の応接室にも本校とほぼ同じ図柄の絵が掛かっていました。生活に苦しむ東北の身寄りのない子どもを多数引き受けられたとの記録もあります。笠岡の誇る教育者です。

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津田白印(つだはくいん)笠岡市観光百科辞典より

1862年、笠岡に生まれる。仏学、漢学を学び南画を究める。明治33年孤児、窮児の救済施設甘露育児院を開設。大正12年、淳和女学校を設立。得意の筆をふるって画を書き収入のすべてを経営に充てた。昭和21年2月死去。享年85歳。古城山公園に顕彰碑がある。



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