4月 17
私が幼い時分、私たちの村は中国第一の桃の村と称された。陽春四月が来ると、村は桃の花で埋まった。 (木山捷平 詩集「野」の後書きより) ※木山捷平(しょうへい)…明治37年、笠岡市新山生まれの私小説家、詩人。
笠岡は“桃の里”である。その証拠に、笠商野球場入り口から北の笠岡市今立に「ももの里」と命名された病院がある。近くの広浜には岡山県桃栽培発祥の地の碑もある。これは、岡山県で傾斜地を利用した大規模果樹経営の最初の成功者といわれる渡辺淳一郎氏を顕彰したものである。木山捷平も書いているように、明治の一時期、笠岡は桃の大産地であった。その名残が、笠岡のあちこちに残っている(ドライブすると判る)。 笠商野球場入り口付近の桃の花は見事である。邪気を祓う力を持つという桃の木が仙人の如く見える。
満塁の走者一掃ももの花 伸介
4月 16

東日本大震災と原発事故により福島県から笠岡市に避難し本校に通学していた斉藤那音くんが、この4月から郡山商業高校(3年生)として郡山市に戻ることになり、本校が昨年度実施した文化祭の収益金を斉藤君に託しました。3月29日、郡山市役所で斉藤君と斉藤君のお母さんから義援金が郡山市の原市長に手渡され、その様子が地元の新聞に掲載されました。本校へは原市長様より丁寧なお礼状が届きました。義援金が今後の復興に少しでも役立つことと、斉藤君たちが学業に専念できることを心よりお祈りいたします。

4月 15

4月13日午後7時から笠岡市の中央公民館で南三陸町復興支援隊活動報告会が開催されました。笠商からは南三陸応援ボランティアバスで現地に向かった生徒7名と教員2名が参加しました。熱心な聴衆を前に、「命の大切さを伝えたい」、「東日本大震災の劇を文化祭でやりたい」など、一人ひとりがしっかりと感想と意見を述べました。笠商は継続してこの交流を続けていきたいと思います。
最新のコメント