現在、本校掲示板に日本初の「株式会社」を作った渋沢栄一を紹介しています。
日本の近代資本主義の父・渋沢栄一(1840~1931)は、江戸時代末(天保十一年)に埼玉県深谷市の農家に生まれました。
「尊王攘夷」思想に影響を受けた栄一は、二十三歳のとき倒幕運動に加わりますが、幕府にその動きが知れて、京都に逃れます。かくまわれたのは「一橋家」という徳川名門の家でした。一橋家の家政の改善などに実力を発揮した栄一は次第に認められていきます。
二七歳の時、十五代将軍・徳川慶喜の命を受け、パリの万国博覧会を見学するほか、欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。
明治維新となり帰国した栄一は、西洋式の経済の仕組みを導入し、「日本初の株式会社」を設立しました。その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わっていきました。
本校玄関正面には、渋沢栄一の筆による『好学近乎知』(学を好むは知に近し:中庸)の額(縦80cm×横2m40cm) が飾られています。
この額について,『笠商80周年記念誌』には次のように紹介してあります。
この扁額は昭和3年,本校創立26年目に完成の講堂に掲げられたもので,渋沢栄一翁の揮毫による。岡山とは何かと縁の深い翁であるが,実業教育への支援を深められていた晩年,本校の教育方針にも共鳴され,求めに応じて「中庸」からのこの五文字を早速に書いてくださったという。「八十九翁青淵」という落款のあるこの額は,今は正面玄関に掲げられ,「学ぶ」ことを力強く語りかけている。
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